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  • 執筆者の写真亮子 西村

枠にとらわれない言葉


新聞記事は「中学生が理解できる程度の日本語」を基準に書かれています。ところが「現代の中学生の会話」を耳にすると、それが新聞の表現とあまりにも乖離していることに気づきます。それは単純な語彙の多寡ではなく、言葉そのものが違うような印象。時代に沿って言葉の使い方が変わっていくのは当然のことなので、どちらかというと、新聞が時代遅れになっている、と言えるかもしれません。

なのでフリーランスになって一番驚いたのは、その表現方法の多様さでした。表記のルールが少なく、枠にとらわれず言語表現を楽しめます。その気持ちよさは、まるで新聞記者時代の鎧をおろしたよう。もしかしたら新聞の活路は、そのあたりにあるのかな、なんて思います。そういえばかつての職場の先輩も「小説に学べ」と口酸っぱく言ってたな。

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